「つらい」
そう感じているのに、自分でも何がそんなにつらいのか分からないことがあります。
私も長い間、自分の苦しさをうまく説明できませんでした。
大学生の頃、私は接客のアルバイトをしていました。
アルバイトの日になると、
「今日、変なクレームを言ってくるお客さんが来たらどうしよう」
と考えていました。
まだ何も起きていないのに緊張する。憂鬱になる。
それでも行かなければならないので、元気の出る音楽を聴きながらアルバイト先へ向かっていました。
当時の私は、そんな自分を、
「自分はネガティブな性格だから」
という一言で説明していました。
でも今振り返ると、「ネガティブ」という言葉だけでは、当時の私が何に苦しんでいたのかはほとんど分かりません。
この記事では、「自分はネガティブだから」で終わっていた過去の経験を、今の私がどのように考え直しているのかを書きます。
「ネガティブ」という一言で、自分を分かったつもりになっていた
当時の私は、自分のことをネガティブな人間だと思っていました。
アルバイトの日になると、まだ起きてもいない嫌な出来事を想像する。
「クレームを言われたらどうしよう」
「変なお客さんが来たらどうしよう」
そして、実際には何も起きていないのに憂鬱になる。
そんな自分を見て、
「自分はネガティブだから、こんなことばかり考えるんだ」
と思っていました。
でも「ネガティブだから」と言ったところで、私が毎回何に怯えていたのかまでは分かりません。
なぜアルバイトへ向かうだけで憂鬱だったのか。
頭の中では何が起きていたのか。
本当はどうしたかったのか。
そこまでは考えていませんでした。
「ネガティブ」という言葉は、自分を説明してくれる言葉であると同時に、それ以上、自分について考えなくても済む言葉にもなっていたのかもしれません。
自分を責め続けてしまうことについては、こちらの記事でも書いています。
「ネガティブ」を使わずに、あの日の自分を説明してみる
今の私は、当時の自分を「ネガティブ」という言葉を使わずに考えてみます。
アルバイトの日が来る
↓
クレームを言うお客さんが来るかもしれないと考える
↓
まだ起きていない悪い出来事を想像する
↓
本当に起きるかもしれないと怯える
↓
何も起きていない出勤前から憂鬱になる
こうして一つずつ振り返ると、当時の私は、
まだ起きていない悪い未来を想像し、何も起きていない時間まで、その未来に怯えていたのかもしれない。
今の私には、「ネガティブ」という一言より、こちらの方が当時の苦しさに近く感じます。
ただ、これが当時の私の苦しさの「本当の正体」だとは言い切れません。
今の私が、過去を振り返って考えた一つの見方だからです。
それでも、
「自分はネガティブな人間だから」
で終わるより、自分が何に苦しんでいたのかを少し具体的に考えられるようになりました。
自分の苦しさが分からないときは、「一つの場面」まで戻ってみる
「何がつらいの?」
そう聞かれても、すぐに答えられないことがあります。
そんなとき、私はいきなり苦しさの原因を当てようとせず、具体的な一場面まで戻ってみます。
たとえば、
「仕事がつらい」
で終わらせず、
- どんな場面だった?
- そのとき何が起きていた?
- 頭の中で何を考えていた?
- 何が一番嫌だった?
と考えてみる。
私の場合なら、
接客のアルバイトがつらかった
だけではなく、
アルバイトへ向かう途中、まだ起きてもいないクレームを想像し、元気の出る音楽を聴きながら憂鬱な気持ちで出勤していた
という一場面があります。
ここまで具体的になると、
「私は、あのとき何を怖がっていたんだろう」
と、もう少し考えられるようになります。
自分の性格を大きな言葉で決める前に、実際に苦しかった一場面へ戻ってみる。
少なくとも私にとっては、その方が自分の苦しさを考えやすくなりました。
「本当はどうしたかった?」に、すぐ答えられなくてもいい
当時の自分に、
「本当はどうしたかった?」
と聞いても、正直、すぐには分かりませんでした。
あの経験があったから、今の私は自分の生きづらさに目を向けています。
だから、「あのアルバイト経験はなければよかった」と単純には思いません。
それでも考えてみると、一つだけ浮かんできたことがあります。
私は、
毎回何かにビクビクしながら働くのではなく、自分が安心して働けるアルバイトを探したかった。
のだと思います。
「自分はネガティブだから仕方がない」
で終わるのと、
「私は、安心して働きたかったのかもしれない」
まで考えてみるのとでは、過去の自分の見え方が少し変わります。
もちろん、この答えも今の私から見た一つの仮説です。
すぐに正解を出す必要はない。
「分からない」から始めて、今の自分が言葉にできるところまで考えてみる。
私は、それでも意味があると思っています。
自分の苦しさを理解することは、自分に合う環境を考えることにもつながるかもしれません。
「私は○○な人間だから」で終わる前に
私たちは、自分を大きな言葉で説明することがあります。
「ネガティブだから」
「人見知りだから」
「メンタルが弱いから」
「仕事が向いていないから」
そうした言葉が、自分を理解する助けになることもあります。
でも、その一言だけでは見えないものもあります。
だから私は今、自分が苦しいとき、
どんな場面だった?
何が起きていた?
そのとき何を考えていた?
何が苦しかった?
本当はどうしたかった?
と考えてみます。
すぐに全部答えられるわけではありません。
考えても分からないこともあります。
それでも、
「自分はこういう人間だから」
という一つの答えで終わる前に、具体的な一場面へ戻ってみる。
大学生の頃の私は、自分を「ネガティブな人間」だと思っていました。
今は、その言葉の奥に、
まだ起きていない悪い未来に怯れながら、毎回アルバイトへ向かっていた自分
がいたのかもしれないと考えています。
そして、その自分は本当は、
安心して働きたかった。
これは「本当の自分を発見した」という話ではありません。
ただ、自分を「ネガティブ」という一言で終わらせていた頃より、私はあの頃の自分を少し具体的に考えられるようになりました。
私にとって自分を理解することは、自分についての正解を見つけることではありません。
「私は○○な人間だから」と決めつける前に、自分に何が起きていたのかを、もう少し丁寧に見てみること。
今は、そんなふうに考えています。
この記事を閉じる前に、最近苦しかった場面を一つだけ思い出してみてください。
すべての質問に答える必要はありません。
まずは、
「どんな場面だった?」
という一問だけ、メモに書いてみてください。
自分を大きな言葉で決めつける代わりに、一つの場面を丁寧に見る。そこから、今まで見えなかった苦しさの形が少しずつ見えてくるかもしれません。
場面を振り返ったとき、「自分の性格」だけでなく「置かれていた環境」が苦しさに関係していたと感じることもあります。



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