「あと3年で30歳」と気づいたとき、急に焦り始めた
家にいるとき、ふと自分のこれからについて考えていました。
そのとき、
「あれ?俺、あと3年で30歳じゃない?」
と思いました。
それまでも、自分の状況は分かっていたはずでした。
今は仕事をしていない。
十分なお金があるわけでもない。
この先、自分一人で生きていけるだけの力があるのかも分からない。
昨日から急にそうなったわけではありません。
それなのに、「あと3年で30歳」という数字を意識した瞬間、急に残された時間が少なくなったように感じました。
「このまま30歳になったらどうしよう」
「20代のうちになんとかしないと」
そんな焦りが一気に強くなりました。
仕事を見つけたい。
自分に合う仕事も知りたい。
もっとお金を稼げるようになりたい。
自分に合う環境について考えたことは、こちらの記事にも書いています。
今取り組んでいることについても、
「本当にこのやり方でいいのか」
と何度も考えるようになりました。
何か始めなければ、自分に合う仕事を見つけることもできない。
でも、始めたことが自分に合わなかったらどうしよう。
立ち止まっているのも怖い。
進んだ先で失敗するのも怖い。
早く答えを出したいのに、考えれば考えるほど、何から手をつければいいのか分からなくなっていきました。
そこで最近の自分の考え方を振り返っていて、一つ気になったことがありました。
私は「人生の正解が分からない」ことだけに悩んでいたのではなく、いくつもの「分からない」を全部まとめて、一度に答えを出そうとしていたのではないか。
もしそうだとしたら、人生の正解そのものを探す前に、今の自分にもできることがあるのかもしれない。
この記事では、
正解が分からないとき、私はどうすれば立ち止まらずに前へ進めるのだろう?
という問いについて、今の自分が実際に試していることをもとに考えてみます。
「このままでいいのか?」の中には、いくつもの問いが混ざっていた
最近、私は「このままでいいのか?」と考えることがよくあります。
特に考えていたのが、今取り組んでいる「生きづらさ研究」のことでした。
自分と同じように生きづらさを感じている人の力になれることをしたい。できることなら、それを仕事にもしていきたい。
そう思って始めました。
一方で、まだ十分な収益が出ているわけではありません。
だから、
「このやり方で本当に合っているのか?」
という不安が何度も出てきます。
もっと記事を書いた方がいいのか。
別のことを始めた方がいいのか。
もっと効率よくお金を稼ぐ方法があるのではないか。
でも、ここで一度、「このやり方で本当に合っているのか?」という問いをそのまま考えるのをやめてみました。
そもそも、私は何が分からないのだろう。
そう考えてみると、一つだと思っていた問いの中に、いくつもの問いが混ざっていました。
自分が何に苦しんでいるのかを分けて考えた経験については、こちらの記事でも書いています。
たとえば、
「自分と同じような悩みを抱えている人は、本当にいるのか?」
「その悩みについて情報を探している人はいるのか?」
「自分の記事は読まれるのか?」
「商品として解決策を求める人はいるのか?」
「自分自身がこの活動を続けられるのか?」
どれも、答えを確かめる方法が違います。
それなのに私は、それらを全部まとめて、
「このやり方で成功するのか?」
という一問にしていました。
「成功するかどうか」を今すぐ知ることはできなくても、その中にある一つの問いなら、確かめられることがあるかもしれない。
ここで初めて、
「人生の正解を探すこと」と「今分からないことを一つ確かめること」は、別なのかもしれない
と思いました。
以前の私は、「分からない」を確かめるところまで進まなかった
振り返ってみると、以前の私は「分からない」と思ったあと、その先へ進めていないことがありました。
その一つが、プログラミングを勉強していたときです。
当時の私は、
「プログラミングができれば、将来何かの役に立つかもしれない」
と思って勉強していました。
勉強すること自体は続けていました。
友達にも「プログラミングを勉強している」と話していました。
でも今振り返ると、その先にある、
「では、これをどうやって仕事につなげるのか?」
というところまで、ほとんど進めていませんでした。
たとえば、
「初心者でも受けられる仕事はあるのか?」
「今の自分のスキルでもできる仕事はあるのか?」
「最初の仕事を取るには何をすればいいのか?」
こうしたことを調べることもできたはずです。
でも、私はそこまでやりませんでした。
今振り返ると、
「どうすればいいか分からない」
「失敗したらどうしよう」
という怖さがあったのだと思います。
だから、勉強するところにはいられた。
でも、その先にある「本当に仕事につながるのか」を確かめるところには進まなかった。
プログラミングを勉強したことに意味がなかった、と言いたいわけではありません。
今になって気になっているのは、
私は「行動しているか」ばかりを見て、「本当に知る必要があることを確かめているか」という視点を持っていなかったのではないか
ということです。
今回は、「この副業でいいのか?」をそのまま考えないことにした
今取り組んでいる「生きづらさ研究」についても、成功するかどうかは今の私には分かりません。
以前の私なら、
「このまま続けて大丈夫かな」
「もっと別のことをやった方がいいのではないか」
と考え続けていたと思います。
実際、今でもそう考えることがあります。
だから今回は、
「結局どれをやれば成功するのか?」
に答えを出そうとするのではなく、
「今の判断に必要なのに、まだ分かっていないことは何だろう?」
と考えることにしました。
そして、その中から今確かめられそうなことを一つ選んで、実際に調べてみました。
ところが、そこで予想していなかった結果が出ました。
表示されたのは、
「データがありません」
という言葉でした。
最初に確かめてみたら、「データがありません」だった
私が知りたかったのは、自分が記事にしようとしているテーマについて、実際に情報を探している人がいるのかどうかでした。
何らかのデータが出れば、次の判断材料にできるかもしれない。
そう考えて確認してみました。
ところが、結果は「データがありません」。
少し困りました。
私は「調べれば何か分かる」と思っていたからです。
最初は、
「じゃあ、このテーマは需要がないということなのかな」
とも考えました。
でも、今回確認できたのは、
「この方法では、判断できるデータを得られなかった」
ということだけです。
需要がないと分かったわけではない。
反対に、需要があると分かったわけでもない。
つまり、この時点ではまだ判断できない。
それなら、無理に「続ける」「やめる」を決める必要はないのではないか。
今回は、いったん結論を出さないことにしました。
そして次に、
「何が分かれば、自分の判断は変わるだろう?」
と考えてみることにしました。
答えが出なかったので、別の判断材料を探してみた
最初に知りたかったことには答えが出ませんでした。
だからといって、同じことをずっと調べ続けても前には進めません。
そこで今度は、
「自分と似た問題を抱えている人が、自分以外にもいるのか」
を確かめてみました。
今回確認した範囲では、自分と似た問題を抱えている人がいることは確認できました。
ただ、それだけで、
「需要がある」
「この活動なら稼げる」
とまでは言えません。
検索需要については、まだ判断できない。
この活動が仕事として成立するのかも、まだ分からない。
ここでは、確認できたことを、確認できた範囲のまま残すことにしました。
人生の正解は出なかった。でも、次の判断は少し変わった
結局、私が最初に知りたかった大きな答えは出ませんでした。
今取り組んでいることを続ければ、本当にお金を稼げるようになるのか。
これが自分に合う仕事なのか。
この先、どんな働き方をすればいいのか。
今も分かりません。
それでも今回、一つずつ確かめてみたことで、
「全部分からない」状態ではなくなりました。
今の時点で確認できたこと。
まだ確認できていないこと。
今の材料では判断できないこと。
それらを分けて考えられるようになりました。
そして、一番大きかったのは、
正解が出なくても、次にやることまで分からなくなる必要はない
と気づいたことでした。
以前の私にとって「前に進む」とは、仕事を決めたり、お金を稼いだり、自分に合う仕事を見つけたりするような、大きな結果を出すことでした。
だから、それができていないと「何も進んでいない」と感じていました。
でも、その大きな答えが出る前にもできることはある。
今の判断に必要な材料を、一つ増やしてみる。
判断できなければ、無理に答えを作らない。
必要なら、次に何を確かめるかを考える。
もちろん、これを繰り返せば必ず正解にたどり着けるとは思っていません。
それでも今の私は、
次の判断に必要な材料を一つ増やすことも、前に進む方法の一つなのではないか
と考えています。
正解が分からないとき、私は今こんな順番で考えている
ここから書くことは、完成された方法ではありません。
実際の私は、毎回こんなに順序よく考えられているわけではないし、焦って別のことを始めることもあります。
それでも「このままでいいのか」と考え続けて動けなくなったとき、今は次の順番に戻るようにしています。
|今、その問題について考えられる状態か
私は焦るほど「今すぐ答えを出さないと」と考えやすいです。
でも、疲れているときに考え始めると、余計に分からなくなることがあります。
だからまず、
「今、この問題について考えられる状態なのか?」
を確認します。
今すぐ決める必要がなければ、生活を維持する時間を先に確保してから考えることもあります。
|今悩んでいることを、一文にする
たとえば私なら、
「この副業をこのまま続けていいのか分からない」
です。
頭の中だけで考えていると、仕事、お金、年齢、将来など、別の不安まで混ざってきます。
まずは、
「今、何について判断できずにいるのか」
を一つ置きます。
|その中にある問いを分ける
次に、
「何が分からないから、判断できないんだろう?」
と考えます。
副業なら、
「同じ悩みを抱えている人はいるのか?」
「記事は読まれるのか?」
「お金を払ってでも解決したい人はいるのか?」
「自分自身が続けられるのか?」
などに分けられます。
仕事について悩んでいるなら、仕事内容、人間関係、働く環境、収入など、いくつもの判断材料が混ざっているかもしれません。
ここではまだ答えを出しません。
大きな問いの中に何が入っているのかを見るだけです。
|今確かめるものを一つ選ぶ
問いを分けたら、全部を一度に調べないようにします。
私自身、全部やろうとすると終わりが見えなくなるからです。
選ぶ基準は、
今の自分でも確かめられて、その結果によって次の判断が変わる可能性があるか。
人生で一番重要な問いを解決する必要はありません。
今は一つだけ選びます。
|何が分かったら、判断を変えるのか考える
私はこれを決めずに調べ始めると、不安がなくなるまで情報を探してしまうことがあります。
だから、
「どんな結果だったら、自分は次の判断を変えるのか?」
を、できる範囲で先に考えます。
逆に、今回のように判断できるデータが得られなければ、
「需要がない」
などと決めず、いったん保留する。
先に基準を置いておくことで、欲しい答えが出るまで調べ続けることを少し防ぎやすくなりました。
|判断材料を取りにいく
ここで実際に確かめます。
検索する。
データを見る。
求人を見る。
経験者の話を探す。
小さく試してみる。
方法は、問いによって違います。
目的は、
不安を完全になくすことではなく、次の判断に必要な材料を取ること。
ここを今は意識しています。
|分かったこと以上の結論を出さない
最後に、実際に得られた材料を見ます。
今の私は、大きく4つに分けて考えています。
続ける。
やり方を変える。
いったんやめる。
そして、
まだ決めない。
今回、私にとって特に大きかったのは「まだ決めない」でした。
分からないからといって、無理にYESかNOを作る必要はありません。
ただし、「まだ決めない」は、何もしないという意味でもありません。
必要なら、
「次に何が分かれば判断が変わるだろう?」
と考え、別の材料を取りにいきます。
この考え方にも、まだ分からないことがある
ここまで書くと、以前よりずっと整理して考えられるようになったように見えるかもしれません。
でも、この考え方にも自分で答えを出せていないことがあります。
そもそも、考える余裕がないときはどうするのか
会社員だった頃の自分は、今のようには考えられていませんでした。
仕事でうまくいくか不安だった。
上司とうまく関われないことも苦しかった。
当時は、自分の心を守ることで精一杯でした。
仕事を辞めたいと思ったときも、
「なぜ辞めたいのか」
「何を変えれば状況は変わるのか」
「辞めた後はどうしたいのか」
と、一つずつ考えられるだけの余裕はありませんでした。
だから、今書いている方法を当時の自分にそのまま渡しても、使えなかったと思います。
考えるためには、考える余裕そのものが必要なときもある。
今の私はそう感じています。
「小さく試す」が、挑戦しないための理由になることもあるのではないか
私は最近、「まず小さく試す」ことを意識しています。
副業だけではありません。
体が重くて動きたくないときも、
まず手を置く。
足を曲げる。
腰を起こす。
立つ。
3歩歩く。
そんなふうに、目の前の動作を小さくすることがあります。
一方で、自分の中には、
「お金を失いたくない」
「体を壊したくない」
「これ以上考えるのがつらい」
という気持ちもあります。
だから、ときどき思います。
「小さく試す」と言いながら、本当は失敗するのが怖くて、大きな挑戦を避けているだけではないのか。
今の私には、この二つを明確に分ける基準がありません。
だから、「小さく試せばいい」こと自体を答えにはしたくありません。
調べ続けることも、立ち止まる方法になってしまう
これは、過去のプログラミングの経験ともつながっています。
勉強する。
調べる。
知識を増やす。
どれも行動しているように見えます。
でも私の場合、その先にある「実際に仕事を得る」というところには進みませんでした。
今の活動でも、調べようと思えばいくらでも調べられます。
そして調べている間は、
「前へ進んでいる」
ような感覚にもなれます。
だから今は、新しく何かを調べたくなったとき、
「これが分かれば、次の判断が変わる可能性があるか?」
と考えるようにしています。
NOなら、今は調べない。
この基準も完璧ではありません。
それでも、調べること自体が目的になっていないかを見るための、一つの基準にはなっています。
正解はまだ分からない。でも、次に何を確かめるかは決められる
「あれ?俺、あと3年で30歳じゃない?」
そう思ったところから、今回の焦りは始まりました。
あのときの私は、できるだけ早く人生の答えを出したかったのだと思います。
自分に合う仕事は何なのか。
どうすればお金を稼げるのか。
今やっていることを続けていいのか。
これからどう生きていけばいいのか。
全部分かれば、安心できる気がしていました。
でも、この記事を書いている今も、その答えは出ていません。
今取り組んでいることが、本当に仕事になるのかは分からない。
自分の適職も分からない。
30歳になったとき、自分がどんな生活をしているのかも分かりません。
それでも、今回一つ気づいたことがあります。
「答えが分からないこと」と「何もできないこと」は、同じではありませんでした。
今の自分が確かめられることを一つ選ぶことはできる。
確かめても判断できなければ、無理に答えを作らなくてもいい。
そしてまた、次に何を確かめるかを考えることはできる。
間違えることもあると思います。
選んだ道が自分に合わないこともあるかもしれません。
途中でやめることもあるかもしれません。
それでも私は、
「正解が分からないから」という理由だけで、何も確かめないまま立ち止まり続けるより、今の自分に確かめられることから始めてみたいと思っています。
正解はまだ分からない。
でも、次に何を確かめるかは決められる。
今の私は、それも立ち止まらずに前へ進む方法の一つなのではないかと考えています。


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