はじめに
人の目が気になって疲れてしまう。
私も長い間、人の目を気にして生活していました。
この記事では、私自身が気づいた原因をまとめます。
少しでも心が軽くなるきっかけになれば嬉しいです。
人の目が気になるようになったきっかけ
私が人の目を気にするようになったきっかけ。
それは中学3年生の時期まで遡ります。
当時、私は野球部に所属し、丸坊主で毎日練習に打ち込むという生活を送っていました。
また、クラスでもいろんなタイプの友達と何気なく、くだらない会話を楽しみ明るく学校生活を送っていました。
そんなある日、一人の友達から、こんな一言を言われました。
「ニキビ増えた?」
「まじで?そうかな?」
なんとか笑ってごまかしつつ、急いでトイレに駆け込み鏡を見ました。
「たしかに、おでこにちょっといくつかできてるな。」
それからは、家の鏡の前でおでこにニキビが増えていないか気にする毎日。
しかし、私の心配など気にするそぶりもなく、ニキビは日に日に増えていきました。
クラスでもニキビのことについて触れられる頻度が高くなりました。(決して悪気はなかったと思います。)
すると、私自身にも、少しずつ変化が起きます。
今までは、明るく楽しくただ純粋に友達と話せていたのが、
どこか引け目を感じ、見られている、どう思っているのだろうと考えながら、話すようになりました。
これが、私が人の目を気にするようになったきっかけです。
原因① 「嫌われたくない」という気持ち
当時は、こんなことを考えていました。
「ニキビない人うらやましいな」
「早く治らないかな」
「汚いと思われてないかな」などなど
当時を振り返ると様々な感情が私の中にあったと思います。
当時は、ニキビのことについて触れられると、なんとなく流したり、笑いに変えたりしていました。
心の中では「嫌だな」と思っていたのに、決して、そのことは口にしませんでした。
また、「汚いと思われてないかな」と考えていたことについては、当時のことを振り返ると異性の存在も大きかったと思います。
ここまで読まれた読者の方の中には、なんとなく察した方もいるかもしれませんが、当時の私の心の根底には、これがありました。
「嫌われたくない」
ニキビについて話してくることについて、明確に「嫌だからやめてほしい」と言えば、友達がいなくなってしまうのではないか。
異性から、気持ち悪いと噂されるのではないか。
「嫌われたくない」これが私の心の中を大きく支配していました。
読者の方々の中には、「こんな理由で?」「私も同じような経験をしました!」
いろんな境遇を持った方々がいると思います。
今になって当時を振り返ると、
「がんばったね」
この一言を自分にかけてあげたいです。
読者のみなさんも、この記事がきっかけで過去の自分について振り返る時間を作ってくれるとうれしいです。
もしかしたら、現在の性格や考え、価値観を作ったルーツを知るきっかけになるかもしれません。
それが、例え、いい思い出でも、嫌な思い出でも、皆さん一人だけが持っている大切な宝物です。
原因② 自分に自信が持てなかったこと
中学生の頃の私は、自分に自信がありませんでした。
野球部に所属していましたが、レギュラーではなく補欠でした。勉強が特別できるわけでもなく、足が速いわけでもありません。「自分には人より優れているものが何もない」と、本気で思っていました。
周りを見れば、自分よりスポーツができる人も、勉強ができる人もたくさんいます。そのたびに「自分には何もない」と感じ、少しずつ自信を失っていきました。
だから、誰かに嫌なことを言われても、「自分が我慢すればいい」と考えていました。自分には大した能力がないのだから、反論する資格もないと思い込んでいたのです。
今振り返ると、当時の私は「スポーツができる人」「勉強ができる人」が価値のある人だと思い込んでいました。そして、自分にないものばかりを見て、あるものには目を向けようとしていませんでした。
でも、本当に大切なのは、人と比べて何ができるかだけではありません。自分は何を感じ、何を大切にしたいのか。その声に耳を傾ける時間も、人には必要なのだと思います。
学生のみなさんには、「周りが決めた正解」ではなく、「自分が納得できる選択」を大切にしてほしいと思います。うまくいった経験も、思うようにいかなかった経験も、どちらも今の自分を形作る大切な財産になるからです。
原因③ 「人は自分を見ている」と思い込みすぎていたこと
中学三年生になってニキビが増えてから、私は人の視線にとても敏感になりました。
友達にニキビのことを言われるたびに、「話している相手は私の顔ばかり見ているのではないか」と思うようになりました。
教室へ入る時も同じです。教室のドアを開けるだけで、全員が自分を見ているような感覚になりました。
「またニキビのことを思われているんじゃないか。」
「汚いと思われているんじゃないか。」
そんな考えが頭から離れず、人と関わること自体が苦しくなっていきました。
今振り返ると、私は周りの視線にとても敏感になっていたのだと思います。
そして何より、当時の自分には「よくここまで頑張ってきたね」と声をかけてあげたいです。
今でも人の目が気になることはあります。
でも、一つだけ昔と違うことがあります。
それは、「意外と人は、自分が思っているほど他人を見ていない」ということです。
もちろん、頭で理解していても、すぐにそう考えられるわけではありません。私自身、今でも簡単には切り替えられません。
だから無理に考え方を変えようとしなくてもいいと思っています。
少しずつ考え方が変わるなら、それも一つの道です。もし難しいなら、自分が安心して過ごせる環境を探すという選択もあります。
道は一つではありません。
私もまだその道を探している途中です。
私が少し楽になれた考え方
私が少しずつ楽になれた一番の理由は、「自分を変えよう」とすることをやめたからです。
これまで私は、「人の目を気にする性格を治さなければ社会で生きていけない」と思い込んでいました。
だから、人に合わせようとしたり、背伸びをしたり、自分を大きく見せようとしたりしてきました。
でも、それは長く続きませんでした。
無理をすればするほど苦しくなり、「本当の自分」と「人前の自分」の差が大きくなっていったからです。
その後、さまざまな境遇の人と出会い、本を読み、自分自身について考える時間を持つ中で、一つ気づいたことがあります。
それは、「世の中には本当にいろいろな生き方がある」ということでした。
会社で働くことだけが正解ではありません。
人とたくさん関わることだけが正解でもありません。
自分に合う環境は、人それぞれ違います。
私は今でも人の目が気になることがあります。
でも、昔と違うのは、そんな自分を否定しなくなったことです。
「人の目が気になる自分」を無理に消そうとするのではなく、「そういう自分もいる」と受け入れられるようになったことで、少しだけ心が軽くなりました。
もし今、人の目が気になって苦しんでいるなら、無理に自分を変えようとしなくても大丈夫です。
まずは、自分がどんな時に苦しくなり、どんな環境なら安心できるのかを知ることから始めてみてください。
これまで経験してきたつらい出来事は、消さなくていいと思います。
忘れようとする必要もありません。
その経験は、あなたを苦しめた記憶であると同時に、今のあなたを形作ってきた大切な一部でもあります。
人の目が気になる自分を、無理に好きになる必要はありません。
まずは、「そんな自分でも、ここまで生きてきた」と認めることから始めてもいいのではないでしょうか。
この記事が、そのきっかけになれば嬉しく思います。
まとめ
正直なところ、この記事を書きながら、昔の自分を何度も思い出しました。
人の目が気になって、自分の気持ちより周りの評価を優先していた時期があります。「変わらなければいけない」「このままではだめだ」と、自分を責め続けていました。
実を言うと、今でも人の目が気になることはあります。だから、「これが正解です」と言い切ることはできません。
それでも一つだけ言えることがあります。
あの頃の経験があったからこそ、人の目が気になって苦しんでいる人の気持ちを以前より想像できるようになりました。苦しかった時間まで無駄だったとは、今は思っていません。
この記事を読んでくださったあなたは、どんなことで人の目が気になりますか。
もし少しでも「自分だけじゃなかった」と感じてもらえたなら、この文章を書いた意味があったと思います。
私はこれからも、生きづらさについて学び、考え、実体験と研究をまとめながら発信を続けていきます。
いつか私の経験や研究が、誰かが少し前を向くきっかけになれば、それ以上にうれしいことはありません。
人の目が気になる自分を、すぐに変えようとしなくてもよいのだと思います。
まずは、「どんな場面で」「何を恐れていたのか」を少し具体的に見てみる。そのことが、自分を理解する最初の一歩になるかもしれません。
自分の苦しさを具体的な場面から考える方法については、次の記事で書いています。



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